資本主義経済と国民軍の融合体たる現代社会 〜富国強兵政策継続論〜

はじめに

2019年参議院選挙で安冨歩が主張したこと

現代の生きづらさや閉塞感は、イギリスで発展した資本主義経済システムとフランスで発明された国民軍が融合してできた国民国家システムによってもたらされているのだから、これら19世紀の遺物にいい加減見切りをつけて、子供を守ることを至上命題にした社会を作っていこうじゃないかと訴えた。あらゆる生命体の社会は子供を守るを最終目的にして構成されているのだから、我々人間もそのような自然の摂理・原点に回帰しようと。

私はこの意見に大変感銘を受けた。これまでの人生で自分の行動を規定していたものの正体が一挙に明らかになった思いがした。しかし一方で原点回帰というと石器時代に戻るのかと思う節もある。国民国家システムの歴史と個人でできる具体的な抵抗手段を考えてみたいと思う。

イギリスで発展した資本主義経済システム

詳細は割愛

ところで資本主義は結局のところマルチ商法ネズミ講の構造に非常に酷似している。富は最初に資本を投下した者の手元に集まる。最初に資本を投下した者は需要のある商品をいち早く生産し売る。商品を購入する側はいつまで経っても豊かになれないとやがて気づき、自らも資本を投下して商品を作る側に回る。やがて市場から商品を購入する側が姿を消し商品が売れなくなると(市場の飽和)、新たな商品購入者の獲得を目指して外国市場に進出して需要を喚起して商品を供給し続けようとする。やがてそこでも市場が飽和するとまた新たな経済圏を別の場所に求めようとする。これが延々と繰り返されるが、これは会員が新規会員を誘って勢力を拡張していくマルチ商法ネズミ講の組織増殖パターンと同じである。19世紀以降の植民地獲得競争や20世紀初頭のブロック経済圏の形成、20世紀後半以降のグローバリゼーションなど全て同じ構造から生じている。

フランスで発明された国民軍

詳細は割愛

古代ギリシャより軍事は市民の特権と考えられてきたが、奴隷的労働と軍事の違いとは何か。少なくとも古代においては軍事は冒険ゲームのような娯楽の側面もあっただろうが、19世紀にもなれば軍事システムの歯車としての兵役のどこに特権として享受されるべき福利が残っていたのだろうか。フランス革命に身を投じた市民は直ぐに軍事の奴隷的労働としての側面に気付き厭戦気分からブルボン家の復活を許した。

日本で国民軍の採用が決まったのは1873年の徴兵令からだったが、百姓による軍隊に反対する声も士族を中心に大きかった。これもやはり軍事を特権階級が専有する権利と考えるベースがあったからだが、西南の役で特権主義者が一掃されると徴兵制は単なる国民の義務になってしまった。

19世紀型国民国家システムの完成

アメリカ独立戦争再考

アメリカ人は自前で製品を作れずイギリス製品を購入することでイギリスの資本主義経済システムから搾取されていると自覚するようになった。そのため国産品を増やす努力をしたが、これが資本主義経済システムを国内に導入すること繋がった。更にはフランスに先駆けて国民軍を編成し国王の軍隊たるイギリス軍と衝突し勝利を収めた。アメリカは急速に国民国家システムを取り入れてヨーロッパの国民国家システムと対決しようとした。この対称性は19世紀初頭にヨーロッパで再現され(ナポレオン戦争・諸国民戦争)、続いて19世紀後半以降の東アジアで再現されることになる。

東アジアの覚醒? 〜国民国家システムの採用〜

西洋列強という言葉がある通り、国民国家システムを採用したヨーロッパの国々が世界中で植民地獲得競争を展開した。蒸気船により東アジアにも彼らの投射力は及ぶようになり国民国家システムを持たない東アジアの国々は連戦連敗となった。東アジア諸国は競争力強化を痛感し間も無く国民国家システムを採用するに至った。日本の明治維新がその先駆けとなった。

第二次世界大戦後の植民地支配の終焉 〜国民国家システムがグローバルに展開〜

第2次世界大戦が日本の敗戦とともに終ると、植民地支配を受けてきたアジア諸国・アフリカ諸国の独立運動が一挙に盛り上がり独立国家が多数誕生した。これは国民国家システムが旧植民地にも導入されたということだ。国民国家システムがグローバルに展開され、もはや国民国家システムを採用しない国というものは無くなった。これにより世界は、「万国の万国による万国に対する闘争」という競争原理社会に突入した。

経済成長・GDP成長率を競い合う現代版富国強兵政策

与えられた課題をひたすら解く 〜誰よりも速く誰よりも正確に〜

「経済成長」であったり「GDP成長率」であったり色々と言われているが、結局これらは19世紀型の富国強兵政策を現代的に言い換えたものに過ぎない。そしてこれらの競争の担い手を養成すべく学校教育は戦前の軍人養成教育を現代も続けている。その際たるものが運動会である。運動会の応援歌の多くが戦前の軍歌の替え歌であることからも歴史の連続性が伺える。

いつまで時代遅れの富国強兵政策を支え続けるつもりなのか 〜競争のためのインプット・アウトプットをやめよう〜

富国強兵政策下ではアウトプットは競争に打ち勝つことではじめて評価される。インプットの目的は競争に打ち勝つアウトプットを作るためのものだった。そんなのはもうやめようじゃないか。インプットそれ自体が楽しいか、純粋に知的好奇心を満たすものなのかを重視し、富国強兵政策に寄与する類のインプット(自己投資)はやめる。具体的に言うと競争に打ち勝つための勉強をやめて、純粋に知的好奇心を満たすための学習に切り替える。

アウトプットにおいてもそれ自体が楽しいかを重視し、勝ち負けに拘らないアウトプットに切り替える。具体的に言うと、競争から創造に切り替える。

現実的な抵抗手段 〜競争を減らす”減争”という考え方〜

それでも生きていく上では競争を100%無くすことは現実的ではないかもしれない。そこで競争を必要最小限に留めるという”減争”と言う考え方を導入してみてはどうか。例えば徒競走をする場合でも50メートル走、100メートル走というように競争する範囲が限定されていることに注目してほしい。永遠に相手と徒競走をするのではなく飽くまでもこの距離まで競争しようという発想だ。