2019年上半期データサイエンティスト転職市場でガチで死ぬ思いをした話

転職前の状況

地方の急性総合病院で医療通訳に汗だくになっていた私はPythonと英語力を生かしてもっと上を目指したいと考えるようになっていた。そこで東京のエンワールド・ジャパンにビズリーチ経由でコンタクトを取り、晴れて某外資系CRO(臨床開発受託機関)でデータアナリストとして採用されるに至った。2018年2月のことだ。ここで年収はX00万円からX20万円(ベースX00万年+インセンティブX20万円)に上昇した。34歳の時である。

外資系CROではPythonを使って臨床開発受託業務の業務効率化に資する統計モデルの作成や医薬品売上データなどを使った患者推計システムの構築などに従事していた。利用できていたデータ分析基盤/コミュニケーションツールは以下の通り:
- CDSW (Cloudera Data Science Workbench)
- Impala (SQL query engine for Hadoop)
- Spark
- Jira
- Confluence
- Slack
データ分析基盤の中核となるCDSW上ではPython, R, scalaが潤沢なGPUリソースと共に使いたい放題だった。 また標準労働時間は7時間ジャストと短めで、残業代が稼ぎやすかった。また在宅勤務が週2回まで認められており実際に周りの社員もバンバン取得していたので私も多いに利用できた。実質週3通勤で、月曜日と金曜日に在宅勤務を入れると週末にかけて家族と過ごす時間が増えたのは大きなメリットだった。ただし在宅勤務の場合は残業が申請できない決まりだったのが唯一の難点だった。

転職活動を始めた理由

このような恵まれた環境であったにも関わらず何故転職したいと思うようになったのか。それは使おうと思えば使えるシステムは揃っていたけれど、肝心のそれを使う側のマインドに問題があったからだ。簡単に言ってしまうと上司がダメだった。その上司はデータサイエンスや機械学習についての知識が全く無く、むしろ「機械学習やAIは経験者から仕事を奪うから」という理由でそのようなプロジェクトに積極的に関わることを良しとしない発想の持ち主だった。これでは折角与えられた超贅沢な分析環境も宝の持ち腐れとなってしまう。日に日に仕事は単純極まりないタスクばかりに限定されるようになり物足りなさが日を追うごとに高まってきた。

もちろん年収部分にも不満は多少あり、これだけ活躍しているのにベースX00万円って情けないと思うようになっていた。

転職活動

きっかけは2018年9月頃、登録していたLinkedInに某外資コンサルティングファームの人事部から直接声がかかったことだ。当時私はそれほど本腰を入れて転職活動をしようとは考えていなかったのだが、向こうから声がかかったのだからと面接に進むことにした。結果は最終面接で落とされた。フェルミ推定が上手く出来なかったことと希望年収を吊り上げすぎた(X00万円!)のが原因だと思う。これで私の転職意欲に火が付いてしまった。以後一週間に1回程度のペースで面接を繰り返すようになった。勿論すべてLinkedIn経由だった。

自分への言い訳では無いが、転職活動では全て外国人エージェントを使うようにした。そうすることで無料で英会話の訓練が出来た。これにより英会話力が向上し、英語面接も楽勝になってきた。勿論本業で英会話をするときにも役立った。転職活動によりタダで英語力を向上させ、業務にも生かすという一石二鳥いや三鳥ぶりには自分でも舌を巻いた。

某日系製薬企業の選考過程

とはいえ中々内定は取れないでいた。製薬系とヘルスケア系だけに絞っていたことにも原因があったかも知れないが、経歴が地方の医療機関とCROだけだったというのもウィークポイントになっていたのかも知れない。この点は後述する転職活動再開時に短期決戦で内定が取れたことの勝因分析と併せて後で補足する。

2019年1月、LinkedInのタイムラインに某日系製薬企業(東証1部上場)がデータサイエンティストを募集しているという告知が上がっていることを発見し、直ぐに担当のエージェントに直接連絡を取った。そのエージェントZ氏とはイギリス人だったが日本語が問題なく話せたため日本語で会話をすることになった。(ここは本来の転職活動ポリシーに反するがやはり楽な方が良い)

書類選考が通り、1次面接も通った。転職活動をする理由としては上司がデータサイエンスに理解が無いということを率直に伝え理解して貰った。1次面接は部門長と人事部の二人による面接だった。現職を辞めたい理由の確認と、医薬安全性に適用できる統計的手法をアイディアベースで聞くような内容だった。2次面接は役員面接だった。IT技術やデータ分析の技術を使って患者を助けたいとモチベーションを熱く語ったところ響いているようだった。これが最終面接であり見事通過した。提示年収はベースX00万円+ボーナスX00万円だったのでオファーを受けることにした。この時35歳。

某日系製薬企業で勤務開始

最初1週間は期待に胸が膨らむ思いだったが、次第に何かが違うと思い始めた。データ分析業務は事実上無かった。月に1回部内で開催されるデータサイエンス勉強会が唯一の救いだったが、実務としてPythonのコードを書くということはまず無い。データ分析基盤というものも社内に存在しておらず、これから構築するとのこと。1年〜1年半かけて分析基盤を構築する社内プロジェクトが存在しているだけだった。その社内プロジェクトにも顔を出してみたが、データサイエンスをリードするはずの部長はそこにはおらず、末端の若者が情シスの中堅スタッフに「なぜPythonが必要なのか」を説くことから必要な状態だった。それを聞いた情シスは自身のメモに「パイソン」とカタカナで書いたのを見て私は絶望した。また標準勤務時間が7時間45分であることも思いのほかストレスになった。前職では7時間ジャストだったので、毎日45分余計に仕事をしなければならない感覚に陥ってしまった。

転職活動再開

完全に打ちのめされた私は食が喉を通らなくなり、ベッドに入っても眠りにつくことができなくなった。早速LinkedIn経由でこれまでやり取りのあった主要なリクルーター全員に現状を説明しヘルプを求めるメールを打った。1月の転職活動時点で選考を途中自体していた某外資コンサルティングファームと某ECサイト運営会社については残ステップからの選考再開をしていただくことに。本当にありがたかった。

今回は産業分野をヘルスケア・製薬だけに絞らず、なおかつ以下の点を重視して職を探そうと決意した。以下にあげる重点項目リストは当時やりとりしていたエージェントにメールで送った内容をそのまま転載したものになる。頭にふった番号は優先順位を表している。

重点項目リスト

1)データサイエンティストもしくはデータアナリストとして利用するツール・環境がしっかりと所与のものとして与えられ、
2)PythonやRのコードを書いて解析結果や成果物を出していくという事がビジネスに直接寄与すると認められており、
3)JD以外の業務は原則として求められない、
4)データサイエンティストもしくはデータアナリストが実体のあるロールとして社内で認知されており、
5)必要なデータに必要な時に自由にアクセスできて(過剰なアクセス制限や煩雑な社内手続きや根回しが求めれることなどが無く)、
6)英語を日常業務で使う機会が頻繁にあり、その事が評価される国際的で多様性に富む組織風土があり、
7)相談できるデータサイエンティストもしくはデータアナリスト(日本人・外国人問わず)の同僚もしくは上司が職場に一人以上いる職場で働きたい

(参考までに前職の外資系CROは2, 4, 5, 7が欠乏しており、現職の外資系製薬企業には全てが無かった。全く我ながら情けなく地雷を踏んでしまったようだ。)

上記が満たされていれば、ヘルスケア系以外の会社やベンチャーも視野に入れるとし、年収についても比較的フレキシブルに考えたいと申し出た。

内定2社獲得

外資系統計ソフトウェア会社と某ECサイト運営会社の2社から内定を獲得した。某外資系統計ソフトウェア会社のポジションはプリセールスエンジニア(Advanced analytics & AI関連)で年収X00万円、某ECサイト運営会社の方はデータサイエンティストで年収X00万円(ストックオプション含む)だった。年収比較から前者を選択した。

4月中旬からGWを挟んで5月中旬で内定2社なのだから我ながらよくやったと言える。職歴ロンダリングではないが、大手製薬企業をわずか2ヶ月とはいえ職務経歴書に記載できるようになったことで企業の反応が良くなったように感じた。またインダストリーをヘルスケアだけに絞らなかったのも良かったと思う。

有給消化

5月31日から2週間ほど有給消化のため休暇をいただいた。3月にも2週間の有給消化休暇をいただいていたのでこのわずか3ヶ月の内に2回も長期休暇をいただくという離れ業(文字通り業務から離れている)をやってのけることになった。休み中は賃貸物件を見て回ったり持家派・賃貸派の論争を本やYoutubeで見るなど生活とファイナンスのことを中心に時間を使った。その副作用からなのか労働意欲が減退、というよりも自分の時間と体力を切り売りしてサラリーを得るというサラリーマンのビジネスモデルがどう好意的に捉えてもとても部の悪いもののように思えてきた。

2012年に一念発起して自分の仕事を天職と思い込むことで仕事のパフォーマンスを上げ、結果的に年収も上がった。これは小室直樹が『日本人のための憲法原論』で紹介していたプロテスタントの労働倫理を実践したものだったが、ここに来てこれをサラリーマンの身分でやり続けるのは無理があるのではという疑問が生じるに至った。金儲けはいいことだ、労働は神の栄光を讃える宗教儀式だ、というのは会社経営者であったり個人事業主でかつ自分のプロダクトを作り、自分の時間と体力を切り売りする労働ではなく、プロダクトを生産することでプロダクトに収益を産んでもらう積み上げ式の労働をする人間にとって初めて正しく機能する行動倫理なのではないかという懸念が生じるようになった。即100%切り替えられないにしても少なくとも1日の時間の数パーセントは積み上げ式労働に回していきたいと考えるようになった。

外資系統計ソフトフェア会社で勤務開始

6月16日(日)にこの会社の社員となり、翌17日(月)より勤務を開始した。オフィスの所在地は六本木ヒルズである。思い起こせば地方の病院から外資系CROに入ったときも、南魚沼の大自然から東京・品川の大都会に足を踏み入れたときは人生の景色がガラリと変わった印象を得たが、今回もそれと似たような感覚に捕えられた。それだけ六本木ヒルズというのは私にとってアイコニックな存在であり、ホリエモンヒルズ族という言葉に代表されるような金の亡者の一員に自分も加わってしまったと周りから見られるのではないかという不安が頭をよぎった。

しかしながら実際には金の亡者どころではなく、これまでと少しも変わらない”切り売り”生活のサラリーマンである。色々と考えていても仕方がない。只々また新しく始まった慣れない作業に早く慣れて提示された期待年収額を源泉徴収票にしっかりと刻みつけて年収額(実績)にしていかなければならない。

終わりに

データサイエンティストになる、ということを至上命題として2015年後半から動き出してはや4年。最後の最後でデータサイエンティスト職に見切りをつける、という結果になってしまった。

冷静になって考えてみると、Pythonで(というかpandasで)データをいじり倒すだったり、ルールベースのデータ処理のアルゴリズムを書くのは好きだが、機械学習モデルの精度をコンマ1単位で競い合うような世界でライバルに打ち勝っていくというような世界でしのぎを削るというスタイルは望んでいなかった。かといってkaggleが全く楽しめない、ということでもなく、自分なりの解法を考え出すのは土日の時間つぶしにはもってこいの娯楽だと感じる。1週間ずっとこれだけやっていたいと願うほどではまだ熱中できていないが。

統計学の学習も楽しい。数学(数式)も好きになった。ビジネス上の現実問題を推定したいパラメータに置き換えて数式に落とし込み、Pythonなどのプログラム言語で実装するということがif文を書く並みに簡単にできるようになったとき、初めてデータサイエンティストと名乗って給与相応の活躍ができるものと思っている。そこにたどり着くにはまだ修行が足りない。